江尻城

えじりじょう
  • 名称えじりじょう
  • 俗称・別名小芝城、於芝城
  • 所在地-
  • 様式平城
  • 関連武将武田信玄 穴山陸奥守信君 徳川家康

駿河に南進した武田信玄が駿河攻略の拠点として築いた城

駿河に南進した武田信玄が、駿河攻略の拠点として永禄12年(1569)今福和泉守を奉行とし、馬場美濃守信房に縄張を命じて築城した。天正6年(1578)武田一族の穴山陸奥守信君(梅雪)が大改築し、江尻を城下町とする本格的城郭としてその経営にあたった。天正10年、武田氏滅亡の際信君は徳川家康と和議を結び、その支配下にはいった。天正18年、小田原落城後、中村式部少輔一氏の支配するところとなったが、慶長6年(1601)その存在価値を失ない武田創築以来32年間で落城した。
本城は東海道線清水駅の西方約1kmの地点に位置し、周辺は市街の中心地を形成している。巴川北岸に接した平地に立地している。戦前までは二の丸の堀跡が一部残存していたが、現在は市街化され遺構は全く消滅し名残りをとどめていない。
江尻城古図によれば、複郭式城郭であり、本丸を中心に、扇形状に東の丸、西の丸、三の丸などの曲輪があり、巴川の蛇行を掘り割り、内堀、中堀とし、河跡湖を外堀として利用していたことがうかがえる。石塁は存せず、各曲輪は堀と土塁とによって区画されていた。中部電力清水営業所東南に、櫓の小字名が残っているが、櫓については明らかでない。
江尻城の東南約1.8kmの巴川河口に、武田水軍の拠点として築城された袋城がある。この城は江尻城と同時に築城されたものであるが、その点で本城が駿河における武田方の兵站基地として重要な役割を担っていたことが推察される。
本城の東方には、当時の城下町の存在を示す鋳物師町、鍛冶町、紺屋町、魚町などの地名が残っており、小規模ながら中世末期の城と城下町の関係をうかがい知ることができる。とくに、鋳物師町、鍛冶町など職人町の存在は、江尻城下で鉄砲製造がおこなわれていたことを示す地名として注目される。また、現在の雅児橋両岸には、今川の時代より、江尻の三日市と入江の七日市が開設されていた様子が史料の上で認められている。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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