朝倉館

あさくらやかた
  • 名称あさくらやかた
  • 俗称・別名城山
  • 所在地-
  • 様式その他

越前朝倉氏の一族である柿島朝倉氏の居館

柿島朝倉氏は越前朝倉氏の一族で、『駿河志料』には朝倉右兵衛大夫景高の時、越前よりこの地に移住し、2代六兵衛在重の時、井川領海野弥兵衛と共に御茶壷役他諸役を奉仕したと伝えられる。
朝倉館は中河内川東岸台地上の柿島集落北端の山を背にして、東西に長い方形を呈しており、東西90.2m、南北42mの規模を持ち、前面に道路が走っている。館跡内は10カ所程の石垣による区画がなされ、山を負う中央方形の区画(Ⅰ曲輪)と左右2区画(Ⅱ・Ⅲ曲輪)が古くからの屋敷地と考えられる。Ⅰ曲輪の前面石垣下東側隅に井戸があり、土地の古老の話しによれば、屋敷地前道路脇水田に堀(池)があったといわれる。
屋敷地南側台地上は広い水田耕作地となっているが、中河内川との段差が大きく、水利に不便な為、北側寺沢より山裾沿いに朝倉氏鎮守粟鹿神社下を通って屋敷地内に引き入れ、屋敷地内にて東西を分流させて水田に供給させるなど、領田に対する配慮がなされている。この水田南端高台に朝倉在重の菩提寺(法名定林寺殿)定林寺跡があり、朝倉氏各代の墓塔及び江戸初期頃と推定される五輪塔が建つ。
なお、朝倉館は井川往還道に沿っている。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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