土岐山城

ときやまじょう
  • 名称ときやまじょう
  • 俗称・別名徳山城、本城
  • 所在地-
  • 様式山城

今川範氏に攻められ落城した土岐山城守の山城

正平8年・文和2年(1353)2月25日、今川範氏により落城。『藩翰譜』には「…土岐山城守定義は美濃の源氏、土岐左衛門尉光信の後胤…清房この土岐山中に住し…」とある。『駿国雑志』には「…是れ長享年中土岐山城守父子の居城なり、一名土岐の砦ともいえり、又土岐氏の男、小長和泉守清則以後数世ここに居城す…」とある。
本川根町、中川根町、川根町の三町にまたがる無双連山の南から北にわたる800mの細長い尾根を利用して構築されている。最高部の標高は1,083.3mである。北端に大手があり、ここに至るには犬戻りと呼ばれる幅1m~3mの屋根を通らなければならない。当城はほぼ中央部にある幅約8mの濠によって二分されている。現在は樹木が繁って詳細な観察はできかねるが、北側には殿屋敷(本丸)を中心としてその北側に二段の帯郭、東側に1個の腰郭が認められたという。『駿遠豆古城物語』(毎日新聞静岡支局編)によれば、6カ所の郭と腰郭から2つの連絡通路があったとされている。この北側の部分が徳山城の中心をなし、本城と呼ばれているが、その南側に門跡があったという。門跡から濠の間には2カ所の塁段がある。南側の部分は陣屋平と呼ばれ、南端のナゲと呼ばれている断崖の近くに蔵屋敷があり、(『古城物語』によれば約40m²の平坦地)、その北側に鍛冶屋敷があったという。蔵屋敷の西側には土岐山城守遠矢の跡と伝えられている場所がある。水の手は陣屋平西側のたにであったという。
当城は土岐氏居館跡があったとされている川根本町徳山字森の段からは約8kmも離れた位置にあるが、下泉河内川沿いの集落や笹間川沿いに点在する集落をおさえる位置にある。石上城の案内板によると、川根町笹間上字粟原の成瀬治宣、同字日掛の杉山実男が入屋であったという。また、川根本町壱町河内字下河内に五輪塔があるが、そこに入屋姓があり、同所に蔵屋敷があったと伝えられている。当城に関連する砦、支城について『榛原郡誌』によると、付属砦9カ所、独立した任務を持つ砦として、清水砦、朝日山陣場、塩野塁、梶山塁、四伝多和砦、峠下砦の6カ所、支城として護応土城、萩田和城、笹間城、小長谷城の4カ所が上げられている。また、沼館愛三氏によれば、本城をとりまく塁・段・砦として25カ所があげられている。一族の城としては島田市の大津城がある。関係地名としては、堀の内、遠見段、矢址平、ぶそうだいら、真水などがある。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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