掛川城

かけがわじょう
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日本初の木造復元天守

  • 名称かけがわじょう
  • 俗称・別名雲霧城、辰田山城、松尾城
  • 所在地掛川市掛川
  • 様式平山城
  • 遺構大手門番所、蕗門、玄関下御門(袋井市油山寺)、二の丸御殿、太鼓櫓、天守(復元)、曲輪、土塁、横堀、石垣
  • 築城年永正9年(1512)頃
  • 城主・城将朝比奈氏 山内一豊 太田氏
  • 関連武将朝比奈泰熈 今川氏真 徳川家康 山内一豊
  • 文化財指定大手門番所・蕗門・太鼓櫓(掛川市指定文化財)、玄関下御門(袋井市油山寺、重要文化財)、二の丸御殿(重要文化財)
行きやすさ 行きやすさ アクセス詳細

遠江東部の要所に建つ東海の名城

「内助の功」の語源となった山内一豊と妻・千代が居城していたことで有名な掛川城。掛川は東海道の要所に位置していたことから、掛川城は戦略上の重要拠点として、しばしば争奪戦の舞台となりました。現在は、天守が復元されるなど、掛川城公園として整備されています。

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15世紀末、父義忠の果たせなかった遠江侵攻を再びはじめた今川氏親は、掛川の地を遠江支配の要所と位置づけていました。そのため、重臣筆頭であった朝比奈泰熈(やすひろ)に築城させたのが掛川城のはじまりです。もっとも、朝比奈泰熈が最初に掛川城を築いた場所は、現在の掛川城址から北東にある小高い丘で、後に氏親からさらに大きな城の築城を命じられ、現在地に掛川城が築かれました。
戦国時代の掛川城主は「朝比奈3代」と言われるように、初代の泰熈から泰能、泰朝と続きました。ところが永禄3年(1560)、桶狭間の戦いで今川義元が討たれてから今川氏は急速に衰退、甲斐からは武田信玄が駿河へ、三河からは徳川家康が遠江へと侵攻をはじめました。永禄11年(1568)、信玄によって本拠地駿府今川舘を追われた今川氏真は、泰朝の守る掛川城へ逃げ込みましたが、今度は徳川家康の大軍によって包囲されてしまいます。籠城戦は約半年にも及び、堅城ぶりを発揮しましたが、講和により開城され、掛川城は家康のものとなりました。
家康もまた掛川の地を重視していたため、重臣の石川家成を城主とし、その子康通が後を継ぎました。その後、家康が関東に移封されたのに伴い、駿河・遠江には秀吉の家臣が入り、掛川城には山内一豊が5万石で入城しました。一豊は瓦葺きの天守を建てるなど、掛川城を近世城郭へと生まれ変わらせる大規模な改修が行われました。
関ヶ原の戦いの後、一豊が土佐に24万石で転封されると、家康の異父弟である松平定勝が移封されました。その後は本多氏、井伊氏、小笠原氏などの中小譜代大名が城主に就き、最後は太田氏の居城として明治維新を迎え、掛川城はその役割を終えました。

成り立ち

応仁の乱後、守護層の抗争が激しくなるに従い、今川氏は文明初年(1470年代)朝比奈備中守泰熈に築城させ、掛川を守らせました。そして次第に城郭の拡張と強化をはかり、永正10年(1513)頃城の南西方の龍頭山に新城を築城しました。
出典:「静岡県の中世城館跡」

現在

掛川城は掛川盆地なかほどの標高56mの龍頭山とその周辺一帯に築造されています。規模は東西1.4km、南北0.6kmほどで、このなかに天守、本丸、二の丸、三の丸、竹の丸、松尾郭、中の丸などの諸曲輪が内堀、外堀、総堀の内外に配置され、天守をはじめ諸櫓、城門木戸、附属施設、井戸、侍屋敷、町屋などが建てられています。
城の縄張りは本丸を中心として二の丸、三の丸を渦巻状に配置している渦郭梯立式で、自然地形を削平、土盛りをして築かれ、本丸の北に一段高く天守の丸が築かれています。天守の丸の規模は東西18m、南北46m。本丸は天守南側の山腹を削平して造られ、規模は東西65m、南北40m。公園に利用され変形しています。二の丸は天守東側に位置し、初め三の丸と称していましたが、宝永4年(1707)の地震後修築の際二の丸と改められました。土居の一部と二の丸御殿が遺っています。三の丸は二の丸の南側に位置し、規模は東西65m、南北65m。削平され市庁舎が建ち変形しています。堀は殆ど埋め立てられ、遺存しているものは内堀では本丸東側の一部、中堀では二の丸東側の一部のみです。外堀、総堀は改修が進み、道路・暗渠・排水路となっています。
城郭の建築物のうち現存しているものは大手門番所(掛川市・市指定文化財)、蕗門(掛川市西町円満寺山門・市指定文化財)、玄関下御門(袋井市油山寺山門・重要文化財)、二の丸御殿(掛川市・重要文化財)、太鼓櫓(掛川市・市指定文化財)などです。この他の遺存している施設は、天守丸の井戸(通称霧吹き井戸)と三の丸揚厩井戸の2基。遺構は明治2年(1869)2月の藩主太田氏の上総・柴山への転封後荒廃と変貌を重ね、都市公園化され、変形した天守丸・本丸・二の丸・中堀と揚厩曲輪・二の丸御殿、移築した太鼓櫓が往時の姿をとどめるにすぎません。
出典:「静岡県の中世城館跡」

縄張図

縄張図

掛川城遺構概要図(『掛川城復元調査報告書』)
出典;静岡の山城 ベスト50を歩く

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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