横沢の殿垣戸

よこざわのとのかいと
  • 名称よこざわのとのかいと
  • 俗称・別名経塚山
  • 所在地周智郡森町亀久保字横沢
  • 様式その他
  • 関連武将筥島氏カ

横沢に伝わる名主層のものと思われる居館

横沢の殿垣戸について、『掛川誌稿』に次の如き記載がある。「横澤に筥島殿と称せし人の墓碑あり、其名字詳ならず、其住せし所を殿垣戸と呼ぶ、今畠となる」とあるが、現在ここに記されている墓碑と殿垣戸を確認する事は出来なかった。『掛川誌稿』の編纂の開始された文化年代には、まだ伝承もあったが、今はまったく知る由もない。
中世の横沢は、安嘉門院領飯田荘に含まれていた。弘安4年の文書に、「飯田荘上郷内笞島西俣加保村」とあり、先学の研究に拠れば笞島は筥島であり(『遠江飯田庄加茂社銘の鰐口二例(下)』)、先の所伝を勘案すると筥島殿とは筥島(横沢を含む)の名主層と考えられなくもない。殿垣戸はこうした名主層の居館であろう。
横沢の字京塚には、近世の墓石と共に石積みをした中世墳墓らしきものが十数基見られる。小祀に祀られている和鏡も出土品であろう。この所有者は、恐らく名主層であろうが、殿垣内の所在が明らかでないのが悔やまれる。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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