真田城

さなだじょう
  • 真田城
  • 真田城

土着の小領主・武藤氏の居城

  • 名称さなだじょう
  • 俗称・別名城山
  • 所在地周智郡森町一宮字真田
  • 様式山城
  • 遺構曲輪、土塁、虎口、堀切、横堀、竪堀
  • 築城年元亀年間(1570~1573)
  • 城主・城将武藤氏
  • 関連武将武田信玄配下武藤刑部
  • 文化財指定森町指定史跡

武田式築城の遺構が認められる山城

遠江一宮・小国神社が鎮座する谷間の、谷がさらに狭くなる部分の東側の丘陵上に位置している真田城。天方新城から社山城に抜けるルートを確保するための監視所として、また宗教ばかりでなく政治的な拠点でもあった小国神社と一宮領域を押さえる目的もあったと推察されます。

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真田城の築城者は、地元の伝承によると遠江一宮領域を支配していた武藤氏とされていますが、定かではありません。なお、この武藤氏は戦国期に今川の家臣となっていたようですが、詳細な動向を知ることはできません。
真田城の存在を伺い知ることのできる古記録としては、『三河物語』のなかで武田信玄が遠江進行戦のために天方、向笠、市の宮ほかの古城を取り立てたと伝えられているため、この市の宮を真田城とすれば、既に武藤氏が築城した古城があり、元亀3年(1572)に武田信玄が改修したと見ることができます。武藤氏段階の築城があったとしたら、明応年間から始まった駿河今川氏の遠江侵攻戦の段階で、遠江一宮領域を防御する時期の築城が最も可能性が高いと見られます。しかしながら、現在見ることのできる城跡には、武藤氏段階の姿を知ることのできる遺構は残されていません。真田城の西側の谷間には、真田遺跡などの小国神社関連の中世遺跡が点在し、この中に武藤氏の館が含まれている可能性はあります。
真田城の規模は砦程度の小さな山城といえるものですが、大規模な堀切や横堀の採用、クランク状の虎口など、武田方の山城として改修された犬居城、高根城、社山城などと共通する複雑な構造となっていることから、古記録に記されている武田氏が取立てた市の宮の城は、まさしく真田城であったと言えるでしょう。

成り立ち

真田城は一宮荘に勢力を張った武藤氏の本城と思われます。武藤氏を甲斐源氏安田氏被官の出自とする見解もありますが(『遠江国風土記伝』)、不明とする他はありません。むしろ領家の代官か地頭に系譜を求める方が妥当と思われます。少なくとも永享9年には一宮荘橘谷の領主であり(大洞禅院二代和尚之置文)、その後の動向は全く判らないものの、戦国期には今川氏の被官となっています。元亀3年武田氏の市の玄は、天方・向笠、市の宮…の古構其外の古城を取立てたと伝えられていますが(『三河物語』)、市の宮の城とは果たして真田城を指すのかどうか、明確ではありません。
出典:「静岡県の中世城館跡」

現在

城跡は宮代西の城山(標高112m)に残っています。中心は今小祀のある曲輪(東西27m×南北35m)で、不等辺形です。その東側に高さ4m、幅3mの土塁が残っています。曲輪の北・西にかけて腰曲輪が走っています。また、曲輪の南から西に幅3mの空堀が取巻いています。更に南側に幅4mの空堀があり、防禦を固めています。この空堀の南の平坦地には何らかの施設があったと思われます。
出典:「静岡県の中世城館跡」

縄張図

縄張図

真田城跡概要図(作図:松井一明)
出典;静岡の山城 ベスト50を歩く

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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