堀江城

ほりえじょう
  • 名称ほりえじょう
  • 俗称・別名佐田城?
  • 所在地浜松市西区館山寺町堀江
  • 様式平山城

村櫛庄にあった堀江氏の居城

堀江城は、戦国時代に堀江氏、その後に大沢氏の居城となったと考えられる。御陣山と呼ぶ丘から、私鉄経営の遊園地にかけての一帯を、一般に堀江城跡とされているが、遺構のあり方からすれば、これは二つの城跡に分けるべきである。そこで、御陣山の方を、陣屋跡、遊園地の方を佐田城跡とし、より古い堀江城は後者を、新しい堀江城は前者を指すものと理解したい。堀江城の創築年代は明らかでないが、14世紀頃から、村櫛庄にあった堀江氏の居城と考えられる。城史に関する詳しい記録はないが、大沢氏は、御陣山一帯に城を築き、幕末に及んだと推定される。つまり、堀江城と呼ばれた実体は、遊園地内の佐田城から、御陣山へ移ったものと考えられる。
佐田城については、ロープウェイ遊園地駅のある部分が、現状では一番高く、ここを本丸跡と推定する。推定二之丸跡はこれに接する南方の一角で、空堀を隔てて西南側に小さい郭跡が続く。推定三之丸跡は、二之丸跡の西北、一段と低い位置にある。これらは、遊具、トンネルその他遊園地の施設で、変形された部分もあるが、比較的良く旧状を残している。一方、御陣屋跡の方は、北端の羽城(端城)、空堀を隔てた本丸跡、その南側の一段低い二之丸跡推定地、やや間を置いて推定三之丸跡(居館跡か)と、南北に連なり、かなり旧状を良く保存している。
堀江城跡の東南約1kmの丘陵上には、「砦」、「大砦」、「南砦」等の地名が残っている。上記いずれの城と関連した砦かわからないが、注目すべき点である。また、その南方台地上には、「海道」、「大築地」、「堂地」といった小字名が遺っており、その道筋の両側に、奥に細長い地割が続いている。近世の宿場町の地割を想わせる。さらに、台地から西へおりた一帯には、「将監畑」、「館」、「稲荷」、「地蔵」、「阿弥陀堂」、「薬師裏」、「寺東」等の小字がある。以上の小字名も、佐田城、御陣屋いずれと関連したものか、確然としない。
内浦をかかえ、浜名湖に突出したその地理的位置関係、記録に散見する湖上運輸の利権などから考えて、堀江城は、浜名湖をめぐるさまざまな権益に支えられていたように思われる。なお、舘山寺の門前町が、中世において、どれほどの規模があり、堀江城の根小屋とどういう関係にあったかは、全くわからない。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

コメント(1)

初めて投稿させていただきます
私の母親の旧姓は堀江です
おじいちゃんが昔堀江城という城が静岡にあった
ご先祖様はそこから来た
と話したそうです
おじいちゃんの親の実家は岐阜県可児市にあったのですが相当お金持ちで造り酒屋だったらしいのですがおじいちゃんの親も働いたことのないほどだったらしいです
農地改革で名字を名乗るのも小作人さんに堀江を名乗りなさい
ということで可児市の一部の地域には堀江が多いです
私は半信半疑でしたが信長のドラマを観たら堀江城が出てきたのでびっくりしました。
も堀江城がご先祖様が建てたお城なら跡を見に行きたいです

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