平賀屋敷

ひらかやしき
  • 名称ひらかやしき
  • 所在地浜松市天竜区佐久間町川合
  • 様式その他

平賀中務少輔を始祖とし、公文庄屋の格式を持っていた平賀家の屋敷

平賀家の由緒書によれば始祖は平賀中務少輔といい、天徳の時代山姥征伐のため朝廷の命を受け京からこの地に来たと伝えている。
平賀家は近世川合村の名主を勤めた家であり、殊に公文庄屋として格式を持っていた。
由緒書によれば慶長19年元和元年の大坂冬夏の陣に出役し褒賞として除地を拝領する他、名字帯刀をゆるされたという。
現在の屋敷は近世後半となって建てられたものであり、かっては部落の北側通称ゴボウ畑と呼ばれる天竜川の川端にあったと伝えられている。
信州から流す木材は一端川合渡場に着けられ、ここから再び南下するのであるが、この土場を仕切って来た。佐久間御室文書によれば天竜川の博木の綱場は元は佐久間にあり、慶長の頃に舟明村に移したと記されていることから、天竜川や奥三河から流す木材は川巾の広い川合地先にその綱場があてられていたであろうことが伺える。
川合村は三州から信州に通ずる三州信州街道の渡船の渡し口でもあった。中部区が所有する女手形入箱は、出女の改め所であったことが知れる。こうした役目を持つ所に平賀家の屋敷があったことは、平賀家が川合村の名主ばかりでなく、木材や渡船の管理をしていたであろう。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

コメント(1)

平賀家の先祖出身地を探しています。祖父(仙太郎)の出身が、磐田郡山香村大井と戸籍で分かってい
ます、西渡、佐久間、天竜川等、父親(敬三)の口から聞いたことがあります。関連用語で検索した
ら、佐久間町川合に平賀屋敷という公文庄屋がある事を知りました、関係があるのかしらと思ってい
ます。現在東京にすんでいるので、浜松に墓参りに帰った時でも、行ってみようかと思っています。
何か分かる事がありましたら、教えて下さい。

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