樽山城

たるやまじょう
  • 名称たるやまじょう
  • 俗称・別名城山
  • 所在地浜松市天竜区春野町田河内
  • 様式山城
  • 城主・城将天野美濃守 安部大蔵元真 三倉久右衛門定次
  • 関連武将徳川家康 天野美濃守 安部大蔵元真 三倉久右衛門定次

山香荘を押領し国人領主に成長した天野氏の支城の1つ

樽山城は山香荘を押領して国人領主に成長した天野氏の支城の一つである。天正2年の徳川家康の犬居攻めにはその存在が知られる(『三河物語』)。同4年7月の家康の天野討滅戦には、真先に攻略された。その頃の城主として天野美濃守・同助兵衛の名が見える(「華島文書」等)。其後家康は、今川旧臣の安部大蔵元真(安倍郡の土豪)・三倉久右衛門定次・天方某(周智郡の土豪)の3名を城番として入城させた。彼等の「二三年余在城之刻、甲州勢一万余ニ而寄来五三日昼夜攻候得共、堅固ニ相守故、敵巻ほくし引取」った。三倉氏はこの功績によって川根で150貫文の所領を宛行われた(『譜牒餘録』)。
城跡は田河内の北1.5kmの通称城山(標高629m)の頂上に築かれていた。三方を熊切川の支流敷原沢が取巻き、北西側はまず人を近づけず、要害である。最高所が本曲輪で(4m×9m)、前に腰曲輪、背面に二之曲輪等が続いている。稜線に一直線に築かれている。城を攻撃するには、東側ぐらいであろうが、それも急な斜面である。
樽山城は天野氏の支城の中では勝坂と並んで重要な城であった。天野氏の所領の東端に位置し、遠・駿両国の山間部を結ぶ街道の要衝であった。従って、関所的な機能を有する支城であった。又、そう考えて始めて、天正4年の天野攻略戦が理解出来る。家康は前回の敗因を考慮して、周辺の支城攻略に取懸り、川根方面より遠江への街道を遮断(武田方の援助)する意図で実施された(拙稿『天竜市史中世編』)。本城への連絡は、高塚山を経由してなされたと考えられる。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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