只来城

ただらいじょう
  • 名称ただらいじょう
  • 俗称・別名多々羅城
  • 所在地浜松市天竜区只来字田ヒラ
  • 様式山城
  • 城主・城将武田信玄 武田勝頼
  • 関連武将天野宮内右衛門藤秀 武田信玄 武田勝頼

武田信玄が遠州侵攻の折、攻略された城

只来城が、いつ頃誰によって構築された城砦であるか不明であるが、『浜松御在城記』には、「信玄、甲州ヨリ遠州犬井秋葉口ヨリ発向、犬井ノ天野宮内右衛門藤秀ヲ為案内者、多々羅江(只来)・飯田ノ両城ヲ攻取、矢野ヲ遠州定番ニ云々」とあって、元亀3年(1572)10月、武田信玄が遠州侵攻の折、犬居城の天野氏の案内によって一部隊が只来城を攻略したことが明らかであるので、既に当時只来城が存在していたことは確実である。
その後只来城は、天正3年(1575)頃まで、武田氏の属城として機能していた形跡はある。(城番が送り込まれ、天正元年には武田勝頼の巡視もあった)、しかし同年中に、光明城と二俣城が徳川家康の手によって奪回されたので、同城も恐らくはその前後の時期に攻略されたものと思われる。従って、同城が廃城になったのはその時か、あるいは武田氏が滅亡する天正10年(1582)までの間であろう。
城跡は二俣城より北東へ5km程行った二俣川上流左岸の山上(標高270m)に位置し、眼下に只来部落が川沿いに展開し、部落の背後は光明城のある光明山である。
現在城跡には、腰曲輪、堀切以外はっきりした遺構は残っていないが、それは只来城が複雑で険峻な自然地形を利用した簡単な繋ぎ城で、人工構築物を当初から不要としたからであろう。
当城は、二俣川を挟んで光明城と対峙した標高270m程の山頂に立地して、四周への眺望はよく、二俣城か光明城(あるいは犬居城)の出城として構築された可能性がある。事実、城内の一角を二俣城と犬居城を結ぶ尾根道が通過しており、城が高所に立地しながら交通の便が意外によいことでわかる。附近の関連地名に兵島、刀淵、峯屋敷、名古山等がある。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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