渋川城

しぶかわじょう
  • 名称しぶかわじょう
  • 所在地浜松市北区引佐町渋川元組字殿垣内
  • 様式その他
  • 関連武将井伊五郎藤原直親

井伊氏一族の居館跡

渋川小学校(東光院址)の北西に、スロウと呼ぶ小丘陵があり、堀垣・堀合などの小字名が残り、城跡であることがわかる。東光院棟札に願主井伊五郎藤原直之の名があり「右往古は城門に有り、天文年中当山に移す。今城跡を殿垣内と申之」と記されている。また「永禄五壬戊十二月十四日、井伊十六代藤原直親公」と読める墓標も近くにある。井伊氏一族の居館跡と言えよう。
伊平から四方浄を通って南信州へ続く山間の街道に沿う渋川元組の東丘陵にある。南北100m中央が高く北と南は小丘陵を切断している。東西幅は約30m、西側の街道とは5~8mの崖で接している。土地の人はこの茶畑の丘陵を「スロウ」(城の訛か)、「殿垣内」と言っている。丘陵の北端、街道との接点には幅3mほどの堀割があり、これが城の東側を孤状に、城の南端までわずかな窪地をつくり、水田と道路となっている。この低い部分を「堀合」と言うところから濠跡の可能性が強い。また丘陵東陵には古い井戸があり今もきれいな水が湧くと言う。城の東側の谷の奥まったところに「上界戸」があり、今も人家が一軒ある。
街道の西側は水田であるが「蔵屋敷」を中心に「蔵下」・「蔵向」・「蔵所」・「弥九郎貝戸」・「馬場」などの小字名が見え興味深い。しかし遺構はない。
また城の東南麓と北端に五輪塔を中心とする墓地がある。井伊氏一族の墓という。
遠江の北辺をかためるため、三河地方の境界田沢城・南信地方との境界に近い渋川城、共に井伊谷を拠点とする井伊氏の出城としての意味は大きく、そのために街道を支配するような位置に立地していると考えられる。また、都田川の谷筋を下れば久留女木・浜北市方面へも通じる分岐点である。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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