篠嶺城

ささみねじょう
  • 名称ささみねじょう
  • 俗称・別名篠嶺古城
  • 所在地浜松市天竜区春野町豊岡
  • 様式山城

室町期から天正初年まで存続した、天野氏の支城

篠嶺城は山香荘に地頭として入部した天野氏の支城で、室町期から天正初年まで存続した。末期の城主は、天野安芸守虎景・其子宮内右衛門勝秀(安芸守は小四郎、勝秀は藤秀の間違い)・其甥和田河内守秀長が在城したと伝えられている(『掛川誌稿』)。いずれにしても、天野一族の在城は間違いない。
城跡は三方を気田川に囲まれた稜線の先端に築かれ(標高270m)、山路(国土地理院の地図は小倉を山路としている。山路は金川の西側)より城に通ずる稜線も岩山で、天然の要害地である。頂上に上・下二段の曲輪と、腰郭から構成される本丸(上は33m×21m、下は12m×26m)があり、土塁の遺構もある。本丸の西下段に、上・下二段の郭からなる二の丸と南方に伸びる空堀がある。
城主の居館は、青磁皿(室町期)等中世遺物の出土した池場にあったと推定され、そこは眼下に気田部落を見下せるし、勝坂に向う街道も近くを通過し、領主支配に適った土地である。但し、断定するには一寸と躊躇する。それは城南麓(1km)気田村の寛文13年の検地帳に、堀之内・市場と言う小字が見え注目される。当初そちらの居館があったのかもしれない。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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