気賀近藤氏陣屋

きがこんどうしじんや
  • 名称きがこんどうしじんや
  • 俗称・別名気賀陣屋
  • 所在地浜松市北区細江町気賀上町
  • 様式その他

気賀関主として代々支配していた近藤氏の陣屋

鈴木氏・菅沼氏とともに「井伊谷三人衆」の近藤康用を祖とし、引佐五近藤として分知独立して陣屋を構えた。そのうち、用可の陣屋が気賀陣屋である。元和5年(1619年)気賀関を預かることに始まり、明治2年関所廃止まで、関主として代々支配する。明治4年陣屋を払い下げ気賀小学校を創設する。『姫街道気賀関及近藤氏屋敷略図』によれば、本坂道(姫街道)と奥山道の交叉点西に関所入口があり、その北に隣接して陣屋がある。現在の気賀小学校の入口が大手で、姫街道へなだらかな坂でつながっていた。また、西側には池があった。
街屋の北側にそって陣屋があり、現小学校の南半分ほどの位置である。しかし、現在その遺構は全く残っていない。ただ、陣中という地名のみがその所在を思起させる。小学校の西側、吉野屋の庭園が陣屋の池をもとにしているという人もいる。また、椎の老木が一本陣中にある。これを江戸椎と言う。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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