勝坂城

かつさかじょう
  • 名称かつさかじょう
  • 俗称・別名城山、勝坂砦
  • 所在地浜松市天竜区春野町豊岡字大曲
  • 様式山城

犬居山中の国人領主天野氏の支城

勝坂城は犬居山中の国人領主天野氏の支城で、その最後を飾った所である。天正4年7月徳川軍は樽山を攻略し、勝坂方面に迫った。天野藤秀は防備に弱い犬居城を捨て、天険の地に立籠った。『三河物語』は、勝坂攻防戦で「しほ坂(潮見坂)」が難関の様に記している。潮見坂は勝坂の入口初沢の西側で、気田より勝坂への通路に当っている。ここにも何等かの軍事施設があったと思う。
勝坂城の所在地であるが、春野町指定地と鹿ガ鼻の二説がある。前者は小字を大曲と呼称されている点からも判る様に、気田川が大きく彎曲した、通称城山(標高297m)を言っている。今は入手山から伸びる稜線を県道が縦断しているので、切断された形になっている。頂上に6m四方の平地とその下に若干の面積の平地がある他は、緩やかな斜面となっている。確かに天険ではあるが、周囲の山から見下ろされる地形で、しかも展望が悪い。後者は標高350mの所に幅5mで北西に伸びる斜面がある。潮見坂のよく見える地点もあるが、立地がよくない。更に標高400mの所にも平地がある様だが、未踏査である。
結局勝坂城の所在地はよく判らないが、位置から言えば後者の鹿ガ鼻の方がよい。こちらは、奥山方面への街道が通過しており(奥山氏の小川城はこの街道沿い)、交通上の要地である。勝坂は天野支配圏の北端に位置し、樽山城と同様な関所的な性格をもつ拠点であったろう。
城兵は普段は下の気田川を挟んだ両側の平坦地に居住していたのだろう。勝坂の開発が古代に遡ると考えられるのは、字森山から平安末期と推定される和鏡が出土しており、名主とか公文と呼ばれる層の存在を窺える。又、隠居(屋号)宅の一画に宝篋印塔残欠もある。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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