刑部城

おさかべじょう
  • 名称おさかべじょう
  • 俗称・別名阿黄山紫城
  • 所在地浜松市北区細江町中川字新屋
  • 様式その他
  • 関連武将今川義元 徳川家康 菅沼新八郎 庵原庄太郎忠良

今川義元の家臣・新田美作入道の居城

今川義元家臣新田美作入道の居城。「永禄11年(1568)徳川家康軍は東三河野田の菅沼新八郎定盈・井伊谷三人衆を道案内として、庵原庄太郎忠良・長谷川次郎右衛門秀匡・内山一党の守る当城を攻め落す。定盈の叔父、菅沼又左衛門をおいて守らせた。」と『武徳編年集成』等にある。
細江町中川字新屋付近で、都田川北側に沿って、沖積平野へ西から東へ突出した小丘陵がある。現在の姫街道はこの丘陵を堀割って通っている。刑部城はこの東端、標高10mほどの頂部にある。東西50m、南北30mほどの平坦な頂部は竹林でおおわれ、中央付近やや東寄りに井戸(直径約2m、深さ4m)がある。北・南ともに急崖をなし、北縁には幅1mの溝状窪地が地形に平行し、武者走りではないかと言われる。また、南縁には土塁状の高まりがある。
都田川を渡って気賀の街並に入る渡津点にあり、旧街道は新屋の山脇を通り、城の西南から南足下・東へとまわって都田川岸へ達していた。この渡津点を小字名で市場と呼ぶように、交通要害の地であったと言える。新屋には落城の際の死者を祭った宗安寺が建てられたが、今は廃寺となって、石段のみが残っている。また、城の東に隣接して金山神社がある。しかし、鍛冶との関係はつかめない。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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