裏鹿城

うらかじょう
  • 名称うらかじょう
  • 俗称・別名
  • 所在地浜松市天竜区佐久間町浦川字城
  • 様式山城

16世紀頃から浦川地域を支配していた日名地氏の居城と思われる山城

この附近の字名を城(ジョウ)と呼ぶ。伝承にも文献にもここに城があったという説はない。しかしこの城の直下に近世浦川村の名主日名地氏の居館がある。日名地は、もと小笠郡横須賀の城主であったと伝えられ、居住の年代は明らかでない。古くは古屋と名乗っていたようであり、日名地文書に(県資料五)武田の家臣で古屋の名が見える。この内の一人が日名地氏の祖先であるのかもしれない。また某蔵人は古屋作介他一名に浦川か川合にある七尋の板を遣わすようにと命じた文書(中村文書)がある。慶長12年家康は角倉了意に天竜川の舟路の開削を命じている。この了意とともにこの仕事に当ったのが日名地であるという。こうしたことから日名地は16世紀頃から浦川地域にあって支配力を持っていたであろう。ここにこうした城という字名を持つことは、日名地氏の居城であったのかもしれない。
城は佐久間町浦川にあり、標高194m・比高50mで、相川と尻平沢にはさまれ舌状台地を作っている。台地は東に面し約3,000㎡の広さを持つ、この台地から東栄町小田に通ずる古道がある。台地上からの展望は西を除いて勝れ浦川地域の中心がほとんど一望でき、遠く佐久間の山地まで見わたせる。
本郭から約50m北西の地点に幅約6m深さ3mの空堀と見られる堀切がある。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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