安形伊賀守屋敷

あんがたいがのかみやしき
  • 名称あんがたいがのかみやしき
  • 俗称・別名伊賀堂
  • 所在地浜松市北区三ケ日町駒場字中山
  • 様式その他

三ヶ日中之郷家所出の伊賀守正道が居住していたと伝えられている屋敷

安形伊賀守屋敷は、駒場区の東部、大谷区へ通ずる道路添いの西方一帯の地域と推定され、北部に伊賀堂なる墓地を残している。現在住宅が立並んで遺構不分明である。
遺構としては字中山の219番地々域に伊賀堂なるものあり墓碑が建てられ、その南方を字「蔵屋敷」と称し、その隣字を「金山」と云う、またその隣字を「中屋敷」と云い、その北側の陽向院の古刹がある。この蔵屋敷と称する辺が天正中安形伊賀守正道居住の地域と云われる(『遠江国風土記伝』−駒場の条)。更に当居館推定地より西北方に「奥屋敷」あり、此處は江戸時代県源左ヱ門を通称とする家があった。これは室町末期岡本居館にあった県源左ヱ門尉信久の子孫の移住した跡と推測され、三ケ日中之郷家所出の伊賀守正道が当居館に住し浜名氏に仕えたと考えられる。(県氏系図)この正道の子孫は江戸時代宇都宮戸田藩の家老として明治維新まで続いている。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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