宇津山城

うづやまじょう
  • 名称うづやまじょう
  • 俗称・別名鵜津山城
  • 所在地湖西市入出字城山
  • 様式山城
  • 関連武将今川氏親

今川氏親により、三河境のおさえとして築城された山城

大永4年(1524)今川氏親によって三河境のおさえとして湖西市入出の地に築城したものである。享禄年間以降、今川氏の重臣である朝比奈氏に在城させていた。
永禄11年(1568)徳川方によって攻められ、敗退した。以後、徳川一族の松平紀伊守家忠等が城主となるも、廃城の時期は不明である。
宇津山城は浜名湖西岸から半島状に突き出した丘陵上に位置している。南は入出浦、北は松見ケ浦に面し、東は湖上遥かに庄内半島を望む風光明媚の地である。本城は従来、正太寺以東の丘陵先端部の城域を指していたが、昭和46年に正太寺の西側の高山山頂に城郭遺構が発見された。
高山山頂の城地は標高53.6mとかなり高く、南北240m、東西35mの範囲内である。最高地に本丸があり、北側二の丸との区分は高さ約3mの土塁と空堀と推定される窪地によってなされている。二の丸下段の帯状曲輪の北側から西側にかけて高さ1.2mの土塁が設けられ、この内側に土留め用と思われる小石が積まれている。井戸跡が一カ所現存する。本丸跡にはバンガローが建てられ、かなり現状変更がなされているが、他の城地は畑地となっているものの保存状態はよい。
一方、正太寺東方の城地は高山より一段低く標高27mで、東西370m、南北75mの長方形の地である。浸蝕谷を利用しての空堀、あるいは土塁の一部が現存するが、他は正徳年間の開墾によって崩されており、正太寺に残る宇津山城古図と正太寺記録によって知られるのみである。これらによると、正太寺より東方に3条の小堀と1条の大堀があり、中央部北側に本丸跡、丘陵先端部の半円刑の曲輪が二の丸、さらに北から南へ腰曲輪をめぐらしている。二の丸中央の南側から湖岸に下る「城坂」が大手口になっている。
正太寺西側の高山山頂の城跡は西方に対する防備に重点をおいた構築とみられることから、時期的に旧いのかも知れない。
宇津山城は今川氏の三河に対する最前線の城であり、しかも、湖上交通を含む湖西地方支配のためのものであると考えられる。なお、関連地名として、東側の正太寺鼻の城跡に、城山、御殿、二の丸などが残り、高山西側に総木戸、堀切などが、さらに入出部落に根古屋の地名が残っている。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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