堀田城

ほったじょう
  • 名称ほったじょう
  • 俗称・別名松下城、城山
  • 所在地菊川市西方字堀田
  • 様式山城

地元では松下嘉兵ヱの城と伝えられている山城

堀田の城山は通称を松下城といい、土地の者は松下嘉兵ヱの城があったといい伝え、尾張ケ谷、権現原、内堀、腰前、馬乗等の小字や通称が残っている。『掛川志稿』によれば、城地の山麓にある正法寺は、「堀田正法が開基で、寺の後山を城山と呼び、太鼓の丸などという所があり、堀田正法の居城と云う」とある。又、「宇都宮氏系図に鎌倉の頃、西方遠江守景能と云う人があるが、この西方村を領有していたものであろう」と書かれている。
系譜略図の法興院摂政兼家公次男粟田関白道兼公孫宇都宮氏の族に遠紅守貞泰、又藤原朝臣姓大久保の項には「貞泰又は景泰といい西方遠江守、美の守」と載せる。城の創始は室町初期で、のち何人かの領有する所となったものと推定する。土地の伝承は松下氏の居城で小字としても「松下」が残り、川を松下川(西方川の一部)という。徳川家康に関する伝承もあり、権現原の地名がある。
城は海抜71.4m、屋形状で北からの西方川の流れがこの丘陵に当って東に向い、さらに南流する西側にあり、掛川方面からの山波が、堀田の沖積平野で終る東端の高まりに当る。掛川、相良を結ぶ旧街道(相良道)と、上内田に通ずる古道(五(イ)百(オ)済(ズミ)道)がこの城の北側で分岐している。村の南寄りにあるので、南は加茂社領(加茂村)に接する。東は堀田を隔て、堀之内、半(ハン)済(セイ)がある。
城山の地形はK字に近いH型で、この下半分(南側)の逆Uの字に当る部分が主軸屋根で、標高差数mの長尾根のため、数カ所堀切って中心に主郭を造る。主郭より北東に尖出した尾根は階段状に7段に構え、北西にのびる尾根は高低差が少いので、二重堀や土塁を持つ段構としている。南西にのびる広尾根は権現原といい千畳敷に相当するもので、一騎駆の細尾根で終る。この原の西側面は谷に向ってかなりの広さの平坦な窪地二段があり、倉跡と推定する。水の手は主尾根、倉跡西下、東麓の寺裏にそれぞれ1カ所がある。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

コメントする

このお城を共有・登録する