三井山砦

みついざんとりで
  • 名称みついざんとりで
  • 俗称・別名三井山城
  • 所在地掛川市大坂
  • 様式山城
  • 関連武将大石外記義久

徳川家康が築いた高天神城包囲の砦

高天神城包囲の砦として徳川家康が天正7年(1579)10月に築く。また、『家忠日記』によると「家康、家忠に命じて参州の諸将を督し、三井山の砦を補修」とある。
本城は高天神城の南約3.0kmの丘陵台地上にあり、山頂89mの山王山を中心に構築されている。本丸を中心として曲輪数14にもおよぶ、北側的場曲輪を境として高土塁をめぐらす。城門は西側にあり太田口より登る。本丸前面に刃堀、一ノ袖曲輪前面に三ヶ月堀、その他主要地点に鍵堀、角堀、天守台と扣曲輪との間に薬研堀を配す。谷間に溜池を配す。波状階段式曲輪群は東向に20段程度山腹面に添って作られ、いずれも折屏風、三角式等を混じえた曲輪群となっている。
主要曲輪は、本丸、二ノ丸、三ノ丸、長者曲輪、鐘場曲輪、観音堂曲輪、大日曲輪等より構成されている。
本城を取り巻く谷筋に多くの溜堀がある。この溜堀は三井山砦の堀として構成されたもので、近年も農業用水として利用している。また、附近集落よりみると徳川初期に砂丘に入植した者が多く、新田等の地名が多い。一部鎌倉期に入植した保地等は八官庁の地名で現存している。
本城の構成からみると築城縄張は高天神城を構築した同時点に始められたもので、曲輪形式は同一設計基準による三角図法を採用していることより今川時代に構築された。しかし、武田期に至り部分的修正が行われ、より厳重な要害城へと移行したとみられることより、本城は高天神城の南部拠点の主城であるとみて良い。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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