八相寺館

はっそうじやかた
  • 名称はっそうじやかた
  • 所在地掛川市高瀬
  • 様式その他

禅秀の乱に敗れた足利持氏の三ノ姫を隠棲させた館

足利持氏が禅秀の乱に敗れ、今川範国をたより、このとき家臣大沢権太夫に命じ、持氏の三ノ姫をこの高瀬小尾ノ谷に隠棲させた。死後、権太夫は館内に墓を立てとむらい、併せて天白社を建立、姫の霊を祭ったと伝えられている。
高瀬城山の北側、八相寺境内を指す。丘陵台地上にあり、裏山尾根部を櫓郭とし、尾根添に千京坂切割まで北側城域となす。先端部西ノ谷側に出郭。その先にて段の帯曲輪、西側山麓面に沿って千京坂まで波状階段式郭で囲む。城内館敷は約6,000㎡、東側山袖部に幅4.0mの曲輪を配する。寺院西背面は自然土居によって遮蔽されている。
大沢氏子孫は現存し、八相寺の入口に住している。その後永禄年代に至り石川氏が本館を修築、原川大和守の協力を得て現在の八相寺を建立したとみられ、開基は原川大和守となっている。墓石は宝篋印塔で3基、その他、素形五輪塔5基程となっている。本墓地は佐束氏及び三ノ姫、大沢氏の3人のものとその家臣のものとみられる。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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