清ヶ谷城

せいがやじょう
  • 名称せいがやじょう
  • 俗称・別名四番山居館遺構群
  • 所在地掛川市山崎
  • 様式その他

高天神城・横地城より古い時代の築城法が見られる平山城

清ケ谷城は小笠山西稜、現横須賀城より北の標高45m、南西面に突出した舌状丘陵上及び谷懐を利用し構築された平山城で、現在四番山を中心として8館群が確認、特に四番山には完全な遺構がある。本遺構全体山袖部に囲濠を配し、それぞれの居館は土塁及び空堀で囲み、2段程度の腰曲輪を以て構築されている。
本城は一~五番山で構築されているが、前面の水ケ谷及び清ケ谷盆地は宝永年代以前馬伏塚城囲域まで深い入江であり、特に清ケ谷は奈良時代より須恵器の産地として栄え、古窯群跡があり、また国分寺瓦の生産地として有名である。本城背後には同期に築城された小谷田城、細ケ谷城があり、下って天正6年に構築された横須賀城がある。
本城の築城は定かでないが、高天神城及び横地城よりも古い時代の築城法が取られている。また、本城域は荘園時代の笠原荘の中心区域でもあるとされている。城に関する地名はなく、入江を示す亀渕、入江等の地名が残っている。
なお、この清ケ谷城をはじめ、釜ケ谷遺構、上ノ山城など一連の遺構は、中世城郭の郭とみるには不自然な部分もあり、土塁・堀の構築形態も中世城郭の通念にそぐわない所も少なくない。そのため、これら遺構を中世城郭とすべきか否かについては、今後の検討が必要であろう。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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