杉谷城

すぎやじょう
  • 名称すぎやじょう
  • 俗称・別名城山
  • 所在地掛川市上張
  • 様式山城
  • 関連武将朝比奈泰朝 今川氏真 徳川家康

駿府を追われ掛川城に逃れた今川氏真攻撃のために築かれた城

杉谷城は徳川家康が永禄11年(1568)から12年にかけて朝比奈泰朝の守る掛川城に逃れた今川氏を攻めるため掛川城周辺に附城を築いたなかの一つである。『武徳編年集成』永禄12年9月16日条に「松平玄蕃頭師宗懸川ノ加番ヲ真乗ニ代テ(中略)遠州ノ内上張、菅谷、亀甲ノ三邑ヲ加恩セラル」とみえる。
杉谷城は主郭のある標高84mの山頂を最頂部として東西150m、南北200mほどの規模で、細長い尾根上と他の三つの尾根にいくつかの曲輪を配置している。主郭のある主尾根は堀切によって分断され、地形的弱点を補っている。主郭は尾根の最頂部に配置し、西側は崖となり、東側は腰曲輪、東曲輪へと続いている。二ノ曲輪は主郭南東部に位置し、物見曲輪的性格が強い。主郭から北へ下る尾根上に堀切を設け、更に北へ続く尾根上にいくつかの曲輪を配置している。砦から南へ0.7km離れたところに青田山砦、北へ1.3km離れたところに大六山砦が位置し、ともに永禄11年からの掛川城合戦の砦である。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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