笠町砦

かさまちとりで
  • 名称かさまちとりで
  • 俗称・別名笠町ノ附城、仁藤砦
  • 所在地掛川市仁藤
  • 様式山城
  • 関連武将朝比奈泰朝 今川氏真 徳川家康

掛川盆地の東、逆川右岸に築造された砦

『武徳編年集成』永禄12年正月条には、「神君暫ク軍ヲ安メン為ニ兵ヲ収メント所々ノ附城ニ衛兵ヲ籠置ル笠町ニ奥平美作守百五十騎、菅沼新九郎正貞三十騎…」とみえる。
砦は掛川盆地東寄りの逆川右岸で、標高44mの最頂部を主郭として南北にのびる尾根を削平して築造している。砦の西側は谷、東側は水田を形成し、南側は逆川の流れとなっている。水田との比高は16mである。主郭は標高44mの神明神社附近とみられ、北側に堀切を設け北曲輪と分断している。北曲輪は主郭と同規模であるが土取りにより変形している。また主郭西側100m離れた真如寺境内も砦に含まれる。堀切は中央部が狭く、東側は桝型を呈し、「関谷」の地名を残している。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

コメント(1)

笠町砦ではなく笠屋砦は、町名の通り仁藤町の北、笠屋町(東海道東高札場の北側)にあった大工頭土屋伍四郎が山内公から拝領した屋敷地(250坪)。逆川の左岸。川を挟んだ南側の地、仁藤門を睨む位置に築かれた。天然寺の東隣に比定されると私は、考察しています。朝比奈氏時代の掛川城の大手は、現在の松尾郭から南(松尾町)に向かって開かれており神代寺川を挟み天然寺があったその東側に笠屋砦があったと考えられるのですが。旧図面でも天然寺と笠屋町の間には水路を表す水色で彩色されています。
記載の砦は、非常に広域であり神明砦(神明神社)と笠屋砦(大工屋敷)により逆川を挟み仁藤門を睨み天王山(掛川古城)を攻略した。と考察するほうが自然ではないでしょうか。180騎の侍が供を設えて何人の部隊でしょうか。攻城時の戦場として展開された地域なら解ります。
ご指摘の入り組んだ谷(水田)は、関七郎さんによると山内一豊公築城時の濠の跡と考えるほうが良いのではないでしょうか。
幾ら半年間の攻城戦と言ってもそんな大規模な築城が可能でしょうか?
陣城の類ですから現在の感覚でこうありたいあって欲しいと見るのは間違いでは無いのですか。
掛川生まれで掛川城大好きな者として一言申し上げます。

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