各和城

かくわじょう
  • 名称かくわじょう
  • 俗称・別名客輪城、客和城、各和氏墟、可久輪城
  • 所在地掛川市各和
  • 様式山城
  • 関連武将各和伊予守道空 各和又三郎元樹 各和肥後守元達 各和三郎兵衛

原野谷川右岸の各和原台地に築造された、徳川家康の附城の1つ

各和城は永禄11年(1568)から同12年にかけて朝比奈備中守泰朝の守る掛川城に逃れた今川氏真を攻める際徳川家康が掛川城周辺に築いた附城の一つである。各和氏の祖は今川貞世の二男貞継が各和に住み、各和伊予守を称したのが始まりとも、あるいは真継の兄貞西の二男貞行が各和肥後守と称したと言われているがいずれにしても今川氏の一族である『武徳編年集成』永禄12年2月条に「掛川ノ城辺客輪村ノ砦ニ客輪三郎兵衛今川方トテ楯籠ル久野三郎左衛門並ニ本間五郎兵衛長季ヲ先鋒トテ是ヲ攻ラル…」とみえる。その後武田方に属している原氏が居城した。この様子は『藩翰譜』には「近年武田氏に組せし遠江の住人等三方原の合戦の後本国に帰り妥かしこに要害構え立籠る」とみえる。そして元亀4年徳川氏の2度目の攻撃をうけ落城した。『武徳編年集成』天正元年3月16日条に「可久輪ノ城ヲバ石川日向守、久野三郎左衛門宗能宵ヨリ是ヲ攻ル処、暁天ニ及デ城陥リ、城将ヲ斬獲シケレバ六笠一宮ノ両城ハ味ノ旌旗ヲダモ見ズシテ逃奔リ、数砦忽陥リ畢ヌ」とみえる。
城は原野谷川右岸の各和原台地上に築造されている。城域は大部分が袋井市側であるが明治初年まで遺存していた土塁は開墾により消滅した。居館は現永源寺境内とみられる。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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