大石屋敷

おおいしやしき
  • 名称おおいしやしき
  • 所在地掛川市大坂
  • 様式その他
  • 関連武将大石外記義久 大石新次郎久末

城東郡大坂村に千石地を開発し、地域の開発に尽くした大石新次郎久未

大石新次郎久未(後、宗兵衛に改む)は、大石外記義久の子で、遠州高天神城に籠城、天正2年6月28日父義久と共に戦い、義久戦死、久未は落城後馬伏塚城へ立退、大須賀康高組となり横須賀城に籠る。天正10年甲州武田氏没落後、浪人し城東郡大坂村に千石地を開発し、諸所より百姓を招き集め附近に居住、地域の開発につくした。
大坂報地にあり、現静鉄大浜停車場北側の台に位置する。連郭形式を取り、西側単郭が大石氏の屋敷となっている。郭内40m×50mの円形方式を取った郭式で、北木戸口の両面及び東側に高土居を設け、東部境界に空堀を配す。現在東山袖に幅7.0m、延長30m程度の水堀を有す。この水堀はかつて屋敷全体を包む形であり、現存するのは東袖部の一部である。表木戸口前面に段曲輪がみられる。表木戸口通路は、かつて旧横須賀往還より直線的に幅3.0mの幅員で連結されていたという。裏木戸口通路は出口よりS形に山添にカーブし、東郭屋敷北側土塁添に掛川往還に接する。この裏木戸道と接する東郭屋敷北側に堀跡あり、東郭屋敷はやや小さく、西側郭屋敷と同様内堀高土塁により囲まれた屋敷となっている。
東西両郭は同一時期に形成されたものであり、三井山城と接する点、また三井山城郭の一連の中に構築されている点よりみると、大古外記義久は三井山城主であったと思われる。又、東側郭も大石外記一族に関連した館と推定される。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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