塩買坂陣場

しおかいざかじんば
  • 名称しおかいざかじんば
  • 俗称・別名陣場
  • 所在地-
  • 様式その他
  • 関連武将武田信玄 武田勝頼

旧甲州街道の途中にある塩買坂で丸尾氏が守備した陣場

元亀2年(1571)3月5日、武田信玄、高天神の巽の方、塩買坂の原中に張陣し、斥候を出して地の利を窺わしめた。これより城まで2里半ある。また、天正2年(1574)武田勝頼大軍をひきいて高天神に向って出兵した。小山・相良を経て、塩買坂に旗を立て、後には国安村に本陣を移したという(改正三河後風土記・高天神記)。
相良からの旧信州街道は新野原からもとの正林寺坂(旧道)にくだる。この坂を古くは塩買坂(今川文書には性海坂と見える)という。また、中坂の別称あり(陣場を含むこの一帯は地籍字名を中坂という)。坂の途中、南方へ分岐する里道を140m程進むと、丸尾平と呼ぶ陣場のある高台(標高120m、現況は茶園)がある。
北東と北西の丘陵に挟まれているが眺望絶佳で、小笠平野を通し高天神城が指呼の間にあり、烽火台の存在が肯けられる。立地条件から烽火は上昇気流によって、より高くあがるといわれ、戦略上その中継基地として最適の占地といえよう。
丸尾平の地名は、この陣を守護した武将、丸尾氏(三郎兵衛、五郎三郎、新五郎)の名に由来するものであろう。
大正初年ころ、茶畑開墾時に北東平坦な高所から巨大な石塊が4個現われ、うち1個は現在、新野原の高祖承陽大師供養塔の傍に遺されている。
また、陣場跡から東北に降った所に古井戸があって、関係する水の手に相違ない。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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