上ノ城

うえのしろ
  • 名称うえのしろ
  • 所在地-
  • 様式その他

律令時代の官牧跡で、平安時代後期に荒廃したと思われる城跡

『遠江国風土記伝』白羽の条に「按此地昔時牧官所乎、諸国定牧地者、見続日本紀巻一、文武天皇4年3月令諸国定牧地放牛馬、延喜式巻廿六主税上日、遠江国白羽官馬直…」とある。すなわち律令時代の官牧跡で、その創始は前記のように、天武天皇4年(700)以降であり、平安時代後期11世紀はじめごろ荒廃に帰したようである。なお、その後、相良荘領家(今出川)が牧牛を仕立てたことが知られる。関係人物については、今井信郎氏の『榛原郡小地誌草稿』に「桜井王、白羽村の人、往古本州牧馬の長官にして末葉今猶地頭方村に存ず。」と記されている。「上の城」「殿の山」「馬見塚」(ウマミヅコウ)「牛飼」(ウシッカイ)等の地名がある。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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