朝比奈城山

あさひなじょうやま
  • 名称あさひなじょうやま
  • 俗称・別名城山、南谷城
  • 所在地-
  • 様式山城
  • 関連武将曽根孫太夫長一

曾根孫太夫長一が居城していたとされている山城

『高天神戦史』に「曽根孫太夫長一、天正二年高天神落城後、大須賀組付となり、城東郡朝比奈村を領して、屋敷跡を伝える。」とあり。ここの城主であろうとされている。長一(ながかず)は後、慶長19年(1614)大坂役の時召出されて新地500石を与えられ、旗本の臣となったという。
土地では今、城山(しろやま)と呼んでおり、一部は茶畑等になっているが、山陵の尾根続きに4か所の曲輪跡(本曲輪は標高85m)と、9か所近い堀割の跡がみられ、また月見井戸等が残っている。この城山に連なる直ぐ麓に曽根屋敷跡があって、かつては土居にかこまれ、今もその一部(高さ2.20m)が残存する。この居館跡は現在、杉浦弥一氏宅屋敷となっている。
杉浦家所蔵、寛政3年(1750)文書に「居屋敷の谷山より志やくじ坪者物見縁□たるは水落切云々。」等と見え、なお近くの南方原上に馬場ケ原の地名がある。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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