向笠城

むかさじょう
  • 名称むかさじょう
  • 俗称・別名六笠城
  • 所在地磐田市向笠竹之内字新豊院山
  • 様式平城
  • 関連武将今川氏親 北条早雲 酒井忠次

戦国期に今川氏、ついで武田氏に属した向笠氏の城

創築年代は不明。戦国時代に今川氏、ついで武田氏に属した向笠氏の居城である。永正5年(1508)、今川氏親の将伊勢新九郎長氏が三州岩津城攻めの時、遠州衆の中に無(向)笠氏も加わっている(『三河物語』)。元亀3年(1572)10月よりの武田軍の遠江侵攻にともない、『改正三河後風土記』に、「六笠、可久輪…の古城を取立て守らしめ」とあり、武田方の一支城として修築されたが、翌天正元年3月、徳川方酒井忠次らに攻囲され落城した。
磐田原台地から太田川沖積平野に突出して伸びる標高約70~80mの台地端部、向笠竹之内字新豊院山に位置したものとみられる。遺構は東西約80m、南北約30mの主郭の一画と思われる平坦部が残るが、これより西の大部分は採土のため旧状を留めず、全体遺構は確認できない。
城の北東は向笠二俣街道、笠井街道(山梨道)、見付山梨街道の分岐点に当り、戦略的に絶好の地理的条件にある。元亀3年より天正元年にかけて、徳川氏の東方の拠点掛川・高天神・馬伏塚を浜松から分断する武田氏の一支城として機能した。城の東南、敷地川西の集落に城屋敷・陣垣戸(陣ケ道)、東門、片平町、奥屋敷等の関連地名が残り、向笠氏の居館跡と考えられるが詳細は未詳である。竹之内は館之内の転訛とも思われる。城屋敷の定福寺(廃寺)に散在した五輪塔は台地中腹の新豊院に移されている。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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