遠江国府

とおとうみこくふ
  • 名称とおとうみこくふ
  • 所在地磐田市見付
  • 様式その他

水陸交通の要衝に設けられた遠江の国府

『遠江国風土記伝』は、「国府は豊田郡に在り、倭名鈔に止与太国府と日ふ、今磐田郡見付を以て国府跡となす」と記し、鎌倉中期の諸文献には「見付の国府」「遠江の国府今の浦」「見付府」等と見える。
旧東海道を南辺とし、磐田原台地南に続く見付中央丘陵と東丘陵に挟まれた中川の谷合を中央部とする方5町域に国府域、古城二の丸跡(現磐田北小)地区の方1町域に国衙域が想定されている。両域とも市街地となり、かつて府域北辺東西に存したといわれる土塁残欠は消滅している。古城二の丸地区は東・南周辺との比高約2~5mである。昭和10年頃、校地整理の際大量の礎石が発見されたというが構造物については不明である。
中川と今の浦の舟運、北に高く南に低下する地形、馬場や総社の適位置、関連地名の北野、古城、西坂、横町、護摩堂他、多くの小路地名が傍証とされる。水陸交通の要衝である(古代東海三国の地域中心と国府の調査~立命館文学223号、昭和39年)。
従来遠江国府・国衙の所在について、見付説のほか、中泉府八幡宮付近に求める中泉説が唱えられてきた。
なお、最近、河川改修工事のため、その一部を事前に発掘調査した南方約2.6kmの御殿二之宮遺跡が、遺構、出土物(木簡、墨書土器、緑釉陶器等)から律令時代の地方官衙的色彩を強くもっている遺跡であることが判明し、当時の国府を、この附近に求める考えが強く出て来ており、注目される。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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