匂坂城

さぎさかじょう
  • 名称さぎさかじょう
  • 所在地磐田市匂坂上字大土居
  • 様式平城
  • 関連武将匂坂長能 匂坂吉政 徳川家康

国人領主匂坂氏の居城

国人領主匂坂氏の居城である。『匂坂氏系譜』は、天文元年(1532)、今川氏に属した匂坂長能の築城としている。永禄11年(1568)12月、徳川家康が掛川城攻略に際し、匂坂・見取・牛飼・寺谷・平松の所領安堵状(『静岡県史料』所収「匂坂家文書」)を匂坂吉政に与えたことにより、遠州攻略を意図する武田氏に先んじて家康配下の属城となるが、元亀3年10月、遠江侵攻の武田軍により二俣城攻略に先立ち落城したと考えられる(『三方原の戦』)。『武徳編年集成』は、同2年3月の落城としている。
磐田原台地西縁、笠井街道(山梨道)が馬坂から台地を上る匂坂上地内の標高約70~80mの台地端部に位置したものとみられる。遺構はかつて字大土居に幅約3~4m、深さ1.5m、東西の長さ約100mの南側の堀、及び東側の北に延びる堀(規模不明)と土塁が存したが、土地改良等により消滅している。付近から焼米が出土する。
二俣街道に面する交通要害の地にあり、元亀3年10月、武田氏の二俣攻めに際し、社山・野辺・向笠・可久輪等とともにその支城となり、後方の守り(穴山信君)として徳川氏の拠点浜松と掛川を分断する役割を有した。関連地名に大土居・馬坂・徒坂・大土居中等がある。また、居館跡は台地西下、匂坂中の本城塚付近とみられるが詳細は未詳である。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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